テレビ離れや、最近は、スマホ離れも必要だと感じるマインドです。

ごぶさたでもうしわけありません。

世の中のエンターテイメント系話題にかなり追いついていけてないのですが、

ドキュメンタリーや、ノンフィクション、クローズアップ現代など、

メディアを通して、憲法25条の視点で、よく社会面で生活保護の話や、介護の話などを、

今の仕事とフィルターしながら、考えることがありました。

(すべての国民は、健康で。。。)

ここんところ、社会ニュースで目に止まったのが、

生活保護の現場と、介護の現場(特老施設)を両者を比較したり、共通するところで、

また、すべての人に共通して、必要なものがあることが分かりました。

人がいて、もうひとり人がいて、人と人が、話すこと、会話すること。

社会面では、介護と生活保護は、密接なつながりがあると、個人的に思います。

それは、みんな1人では、経済力があっても、生きていけるとは限りません。

お金がすべてじゃねーの?そうでもないかも。

精神的な心は、満たされていないのではないかという視点で考える。

何がいたいかというと、人は、コミュニケーションを得意とする人も、

苦手とする人も、同じで、相手、人と話すことによって、喜びを感じている

のではないかと思います。すごく大切なこと。

やはり、人は人とつながっていることは、いいことだと思います。

人脈と言います。生きる上では、命です。

人脈とはいっても、ビジネスは、また違います。

どこか心の中で、実は、寂しい気持ちがあります。

最近になって、人の接していること(人と話すことそのものが)って生きていくなかで、

重要なことに気づきました。

会話には、熱があり、人は、その熱に触れることで、精神が満たされていると。

でも、その人に合った話があれば、おそらく、自己形成(自分を作っていくこと)という意味で、

楽しくなるはずです。

これは、人としては、人を話すことは、生きていくためには、必要です。

社会面では、介護も、特別擁護老人ホームにいるおじいさま、おばあさまも、

会話があれば、自身の中で、楽しさが芽生えるはずです。

介護も、常に1人のおじいさま、おばあさまにずっとついているわけではないので、

本人は、本当の自分自身心の中は、一時的に満たされているだけだと思われます。

介護でお世話していても、おじいさん、おばあさんと会話がなければ、亡くなります。

人が自分が生きていることを感じているのは、もっとも簡単なのは、話すこと。

身の回りの世話をするだけじゃなく、もっと大切なのは、会話すること。

個人的には、お金も必要だし、実は、自分の存在を確認するために、

話す、会話する相手も必要なんだと思います。

考えようによっては、会話のほうが、大事だと思うかもしれません。

人と話さなければ、自分を見失う。今の自分は、このままでいいのかと思うこともあるでしょう。

本当は、大丈夫なんですが、やはり、自分の存在を確認が欲しいのです、会話です。

いやでも、会話ったって、パワーも要ります。体力を相当使います。

増しては、自分と価値観、人生観が合わない人との会話は、もっと体力を消耗します。

そこで、人は、この人とは会わないと思い、関係がなくす方がほとんどですが、

それはそれで、受け入れて、理解し合うことも大事です。

それでも、話すことって重要です。

なら、好きな人を話す、好きな趣味を共感できる人と話すなら、よいと思いませんか。

また、会話を苦手をする人もいると思います。

なら、言葉をきれいにいう練習をしましょう。

ありがとうございます。こんにちは。こんばんわ。どういたしまして。またきてね!

この5つの言葉を並べたら、なんだ言葉が喜んでいるように見えます。

面白いもんです。喜んでいる言葉なら、それを相手に伝えましょう。

話す相手も、喜んでくれますよ、きっと。少しずつ、苦手を克服できます。

声を出すのが恥ずかしいとか勇気がいるとか関係ないです。

そもそもなんで、恥ずかしいのでしょうか。面白い感覚です。

たぶん、自分が目立つのがいやだからだと思います。

でも、目立つことが生きている証です。

いい言葉を口から発しつづければ、会話がどんどん成り立ちます。

会話が成立するって、かなり大切です。

日常においても、ビジネスにおいても、重要です。

会話があわないと、相手にされないこともあります。このご時世ですから。

Aさん、いいよね。 Bさん、はい、いいね。 これでも、片言でも、会話成立です。

いいよね。いいね。これも、言葉が喜んでいるように見えます。

いいよね。いいね。この言葉が、優しく感じます。

会話することは、実は健康(精神面)にも直結していると思います。

会話で体温もあがるし、精神作用もおこります。

とても、楽しくなります。脳からドーパミンも出てきます。

ドーパミンは、快感物質のことです。

することで、自分の存在や、考え方の比較や、確認ができ、少し、自信が持てます。

かなり、難しい視点ではありますが、

介護制度では、思い切り、介護士が宅へ入り、お世話をしますが、

生活保護制度では、事実上、入ることはほとんどありません。

生活保護で、怖いのは、生活保護受給者が、自己的に、人と会話することが極端に

少ないことだと思います。(ありえない行政の対応)仕事探せと言われるだけで終わりです。

非常に他人事です。言う方は、簡単です。行政の人間は、そんなものです。

そもそも、法律で動く行政にあまり期待をもってはいけない。してはいけない。

警察や、役所の人間に期待をしてはいけない。

個人的には、保護受給者と会話するまでが、生活保護だと感じています。

もどりますが、

生活保護者が、1人でいたら、会話の相手は、もしかすると、テレビかもしれません。

でも、会話は、一方通行で勝手に話しているだけで、テレビは、一方的に音が流れているだけです。

そう考えると、やはり、現実的には、生活保護者には、介護のように、人との会話が必要です。

意外に、会話士という職業があってもいいかもしれません。

会って、話す、サムライ(士)。

(字は、似ていますが、会計士ではありません。)

生活保護の怖いところは、経済が満たされても、精神的な心が満たされないこと。

自分を作るには、経済よりも精神の向上が必要です

人との会話が途切れ、自分を見失い、社会復帰が遠のいていくこと。

厚生労働省(行政)は、お金だけみて、人(わたしたち)の心(こころ)まで、見ていません。

というか、基本、私たちが(間接的に)作った、法律で動く行政ですから、人の心を見るはずがないです。

生活保護制度ってすごく死角が多いように思います。

増しては、縦割りに動く行政、経済面が(形式的に)保障されるだけです。

それだけで生活保護に関係のない立場から見ると、

十分と思われますが、ぜんぜん、そんなことない。

まったく、足りません。受給とともに、受給者との会話も同じくらい欲しい。

もっと重要なことは、生活保護者の金じゃなく、会話です。

介護にも、生活保護にも、人が生きることも、会話がいる。