一般的に、広告は、(営業)看板を人に向けて見えるようにします。

あえて見せない広告もマーケティング戦略的にはありだと思います。

見えるようにすることは、表示させることです。

目に見えない人には、点字が必要です。

点字があれば、目の見えない人にも、商品は、売れます。

広く告知するから広告。

告知は、表示にも変えられる。

表示して、人に認識させることが最も必要です。

広告が、ど真ん中にあっても、

興味がない人には、意識感覚は壁だと、人の心は認識します。

壁だから、その人にとって興味のないことは、無理に見えると、眠くなります。

お勉強と同じです。好きであり、興味があれば、勉強ではなく趣味に変わります。

もどしますが、

必要なときに、見えること分かること認識理解できることが重要です。

表示できるのは、物理的に形のあるものだけとは、限りません。

形のないものは、人の動きも表示で、広告であったり、

商品であったり、人の言葉も、表示の代わりになります。

モノを例に、具体的に掘り下げると、

人と物がある場合、モノも目の前にあれば、目が見える限り、

有体物であることが分かります。

物が動けば、自然に気になります。

モノを人が動かすと、人とモノが動いているので、

人とモノが気になります。

佐○急便さんとか、ヤ○ト運輸さんが、

人がモノを運ぶという単純な作業の外観そのものが、

広告(表示)、営業になります。そういった場合は、

ものを運ぶ仕事をする人には、仕事そのものが、

営業です。。わざわざ、営業担当の人間は、要りません。

わざわざ、何か運ぶものはありませんか?

など、飛び込み営業は、聞いたことがありません。

人の日常に浸透していますから。

また、もどします。

気にさせることの流れ自体の戦略も広告というか、マーケティングと考えます。

マーケティングと考えるのであれば、

すべての目の前にあるモノは、広告(営業の元)のヒントになると思います。

どうすれば、自分が売りたいものを売れるか考える際に、

どんなことでも、人、モノ、金のうち、

最も、ひとと、モノだけの関係をみます。

マーケティングは、人が、人とモノの取り扱いを観察することで、考えます。

飲食店や、駅の構内など、公共の場で、人と人とのやり取りを観察することも、

一つ面白い光景として映ると思います。

また、男女についても、男性が女性を見るときの目の動き、

そして、女性が男性を見るときの目の動き、

普段は、主観でしか意識しないので、

男性が、男性が女性を見るところを見る。とか、

女性が、女性が男性を見るところを見る。ことなども、

あまり見ない視点の物の見方なので、楽しいと思います。

また、違った視点ですが、

ただし、異性間の目の動きなので、モロに本能的で無意識な目の動きになります。

あんまりにも、早すぎる無意識な目の動きなので、結構楽しいです。

自分で、モノをみて、考えることができれば、それにこしたことは、ないですが、

自分は、主観なので、客観的には、見えませんので、

人が、人とモノや、人と人、人と広告との関係をみることで、客観が完成します。

自分で商品を試してみることも、必要ですが、人に試させることも、

たくさんの発見に気づきます。

古畑任三郎が今泉君や、西園寺くんに、ちょっとこれやってみてくれる?

と試すのは、客観でよく見えるからだと思います。

あれは、自分がやると見えるものが見えなくなるから。

サッカー中継や、野球中継も、オリンピック中継も、客観です。

いろいろ、あれは、反則だとか、アウトだとか、セーフだとか、

もっと飛べとか、走れとか、いろいろテレビの前で言えます。

ジャッジメントは、主観です。また、人間ですから、間違いがあります。

客観的なギャラリーだと、よく観察して見えるからだと思います。

スポーツ選手も、自分で自分のビデオを撮ります。


前回、記事にしたように、人がモノにたいしてどう見ているか。です。

見方をかえると、人がモノを面接している所です。

面接は、人が人を診るものとは限らないと考える。

人が都心へいと、ビルが高いので、倒れてくるように感じるのと同じように、

大きいモニタが目の前にあると、モニターが口に見えて食われそうな感じとか、

ビルや、モニターを生き物と考えるのと同じ意味合いです。

そういう大枠でとらえるのではなく、

当たり前ですが、表示の観点、人がものを認識すること自体そのこと、すごく重要です。